映画『怪物』は、是枝裕和監督と坂元裕二脚本による映画。2023年6月2日に公開。
『万引き家族』などの是枝裕和が監督を務め、脚本を『花束みたいな恋をした』などの坂元裕二、音楽を坂本龍一が担当。いじめから始まった子供たちの食い違う主張をきっかけに、社会やメディアを巻き込む騒動が起こります。
あらすじ、キャスト
(あらすじ)
息子を溺愛するシングルマザーが住む大きな湖の田舎町が舞台。ひとつの火事がきっかけとなり、その火事が飛び火するかのように、様々な火が燃え広がります。それはやがて、周囲を巻き込み、メディアで取り上げられるところまで進展。そしてある嵐の朝、子供たちが突然姿を消してしまう。
(キャスト)
安藤サクラ(麦野早織)
永山瑛太(保利道敏)
黒川想矢(麦野湊)
柊木陽太(星川依里)
高畑充希(鈴村広奈)
角田晃広(正田文昭)
中村獅童(星川清高)
田中裕子(伏見真木子)
「 #怪物」
— 🎥松重🎬🔥🌊🏇🏍 (@rat_hiro) June 17, 2023
これは…思った感想を言った瞬間、ネタバレというか物語の内容に関わるからなのか、感想が少ない理由が分かった。
登場人物の様な人達普通にいたし今もいるだろう。自分自身と、これまでの人生を振り返らずにはいられない。お前はどうなんだ?と問われてる感じがする。観た人と話したい。 pic.twitter.com/SsOwrB3gWW
【怪物」を見て感じた疑問と考察
「怪物」の疑問点を考察します。
今回紹介するのは下記の「5つ」。ネタバレ含みます。
考察①この映画はドラマかミステリーか、どう分類される映画なのか?
予告などからミステリーやサスペンス的な映画なのかと思っていました。しかし、映画館の上映予定などを見るとドラマとなっており、どちらかなと言うのも映画を見る前の楽しみでした。
結果、社会派ドラマでした。現代社会のマイナスの部分をこれでもかと巧みに組み合わせたストーリーになっていました。学校の体罰やいじめ、家庭問題などなど、違和感なく複雑にかつスマートにストーリーとなっていました。
子供たちの笑顔が救いでありアクセントとなって、重たいテーマの中で瞬間的に気持ちをラクにしてくれながら話は進んでいきます。
考察②なぜ保利先生(永山瑛太)は追い込まれたのか?
湊(みなと)が教室で暴れた時に、保利先生が一方的に湊が悪いと決めつけたところから、ボタンの掛け違いがはじまります。
本当は、陽太のことでもやもやしていた気持ちが大きかった湊は、母に対して、うっぷんを吐き出すかのように保利先生を悪者にしてしまいます。その嘘が後々、保利先生を追い込むなど思いもせずに。
保利先生と湊はそれまで決して悪い関係ではなく、逆に保利先生は湊の家庭のことも含めてちゃんと考えていました。きちんと二人で話をすれば何も問題はなかったはずです。それが、学校の先生が保利先生を信頼していなかったために、大切な二人の話し合いという形はとらされず、一方的に謝罪するということになりました。
保利先生に全く落ち度がなかったかどうかはわかりません。しかし、教師の中に全く見方がいなかったことなど、職場でのコミュニケーションが図られていなかったことも追い込まれてしまった原因のひとつになっています。
学校に限らずどんな職場でも起こりうる組織の事なかれ主義の怖さだと思いました。
考察③「豚の脳」の言葉の真意は?
豚の脳という言葉は、陽太の父が陽太に対して言っている言葉でした。
陽太の父は保利先生と初対面の際にいきなり出身大学や給与のことなどを聞きます。随分と横柄で普通ではありません。昼間からビールを飲んでいることからも仕事はうまくいっていませんし、社会に対しての不満がありありと見てとれます。
そんな父親に対して陽太はすごくできる子供です。湊の母(安藤サクラ)が家に訪ねてきたときにもテキパキと対応しています。いじめられても決して小さくなってびくびくしていません。そんな陽太をみていて、父親は無意識に嫉妬したのではないかと思います。自分は持っていない、達観したようなおちつきや頭の良さに。
だから逆に、豚の脳といって罵り虐待することで自尊心を守ろうとしたのでしょう。父にとって自分の理解を超えた、それこそ怪物だと感じていたのではないでしょうか。
考察④放火事件の犯人と動機と気持ち?
犯人は着火剤を持って家事の現場方向から帰ってきた陽太であるようにみえます。また劇中でも湊が、ガールズバーにいる父親を殺そうとしたのかと聞いています。陽太から答えはありませんでした。
日頃から虐待を受けていた父親を殺そうとしたというのは、自然でわかりやすい流れではありますが、なぜ、そんな大胆なことができたのでしょうか。さらに、着火剤を校長先生に拾われたときにも顔色ひとつ変えていません。
陽太が犯人というのは、どうしても極端すぎる気がして仕方がない場面でした。確かに追い込まれていたでしょう。でも、そんな時、人は逃げるという選択をするのではないかと思うのです。家出とかですね。それが、殺すというところに一気にいくのか自分ではよくわかりません。
ですが、殺すということが父親から逃げるということだったのであれば少しだけ理解できる気もします。
考察⑤ラストシーンの不思議?
ラストの湊と陽太はバスから出て、笑いながら走るシーン。色々な解釈ができるところで明確に描かれていませんが、それまで生まれ変わりという話題が何度も出ていたことなど考えると、二人は死んでしまって、生まれ変わったというのが素直なとらえ方かと思います。
しかし、一方で、それは少し不思議だなとも感じます。
生まれ変わりたいと思っていたのは間違いないです。でも、それは映画を見ていて、二人にとって「死ぬ」ということとは結びついていないように感じていました。
それよりも、トランペットを吹く前を見る湊の表情などを見ると、その先の未来に向かって、今の状況を変えて生まれ変わりたい、そういう前向きな「希望」「未来」を感じます。
映画全体が重たいテーマでありながら、重くなりすぎていないのは、そういった希望、未来というものが劇中に感じられたからです。
だから、子供たちは生きていると考えます。台風が去った後に捜索されていないのはおかしいと見る考えもあると思います。しかし、豪雨の真っ最中の土砂崩れの現場にいた湊の母と保利先生が二次災害にあったと考えたらどうでしょう。。。
その場合、誰にも気がつかれることなく、捜索されることもなく、台風が過ぎ去った後に、二人は目覚めたと考えることができます。
その後の現実は決して生まれ変わった現実ではないかもしれません。それでも、死にそうな大きな体験をした二人にとっては生まれ変わったという気持ちでその後の人生を歩みだすには十分な経験だったと思います。解釈は人それぞれですが、私は素直に生きているそう画面から感じました。
以上が、「怪物」の疑問点の考察でした。
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「怪物」は色々考えさせられる、これぞ映画という作品でした。是枝裕和作品の映画をまた見たくなってきました。色々な動画サイトでみれますね。
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